花ひらき、今ここを天国に。
今回は、無条件の愛を教えてくれる本をご紹介したいと思います。
『もしここが天国だったら?』アニータ・ムアジャー二著
著者のアニータ・ムアジャー二さんは、末期ガンで臨死体験をしています。
その臨死体験で行ったあちらの世界が無条件の愛の世界だったのだそう。
無条件の愛で圧倒される世界だったと。
(臨死体験後、不思議なことに全身に転移していたガンは消え、医療関係者は非常に驚いたそうです。)
圧倒されるほどの無条件の愛とは、どんなものなのでしょうね。
実は、私も経験があるのです。
臨死体験をしたわけではないんですけどね。
私の場合は、
・ご神域で天と繋がった時
・サイキックとしてミディアムシップであちらに繋がった時
この時、圧倒されるほどの無条件の愛を感じます。
「そのままで愛されていた」と瞬時に全てを悟り、全てが許され、全てが満たされる愛を感じます。
あまりの愛に、ただただ涙を流す状態になります。
残念ながら、人間同士ではこの愛に出会うことは殆どないのですが・・。
本には、無条件の愛とそうでない愛について書かれています。少し抜粋しますね。
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たとえて言えば、ホタルの柔らかく冷たい光と太陽の強烈な熱い光を比較するようなものです。
太陽が輝いている時、私たちはものすごい温かさと光に完全に包まれています。
これが無条件の光です。
太陽が存在しているだけで、そこにいる全ての人がその輝きや温かさを浴びるのです。
それに、太陽の輝きは途絶えることはありません。
地球が自転しているためいつも見えるわけではありませんが、
太陽が与えることをやめることは決してありません。
私たちに太陽が見えていない時は、地球の裏側の人たちが太陽を見ています。
一方、ホタルの小さな輝きが持つパワーははるかに少量です。
それはより限定された、条件付きのものです。
ホタルが見える範囲にいなければ、その光は見えません。
たとえそこにいても、容易に光を見逃したり、見失ったりしています。
それはそれで美しいものですが、太陽と比較すればあまりにわずかなものです。
もし、その光を見ていたければ、あなたはホタルに集中し、
あちこちに飛ぶのを目で追い続けなければなりません。
向こう側の世界の無条件の愛と比較したとき、地上での愛はこのようなものだと言えるでしょう。
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アニータさんは、末期のガンが治ったのは、
「ありのままの自分で愛されていたとわかったから」と言っています。
太陽の光のような圧倒的な無条件の愛に包まれた経験からと。
また、ガンになったのは、
人や世の中に合わせようとし、
ありのままの自分を否定し、自分を愛さなかったことが理由だとも言っています。
私たちが苦しくなるのも、
人や世の中に合わせようとし、
ありのままの自分を否定し、自分を愛さないからなのではないでしょうか?
本には、パートナーとの愛についても書かれています。
とても参考になりますのでそちらも抜粋しますね。
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無条件に人を愛するというのは、
相手が自分に対していかなる扱いをしてもそれをゆるす、ということではありません。
真の無条件の愛は、自分への愛から始まります。
ですから私は、自己愛の大切さを何度も繰り返し言っているのです。
もしあなたが自分を愛しているなら、
他人があなたを利用したり虐待したりすることを決してゆるしたりはしないでしょう!
愛する人の価値観が自分のそれと対立する場合、
関係にしがみついて自らの魂を殺してしまうのではなく、
恨みや憎しみを持たずに別れることが自分を愛するためには必要なのです。
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「真の無条件の愛は、自分への愛から始まります。」
本当にそうですね。
時々、自己犠牲することが無条件の愛だと思っている人がいます。
でも、自己犠牲をしていると怒りが生まれます。
自己犠牲をし続けていると怒りは恨みとなっていきます。
本当に自己犠牲は無条件の愛なのでしょうか?
自己犠牲は愛ではありません。
愛とは対等な関係がある時に生まれます。
自己犠牲があるなら対等な関係ではありません。
恋愛に限らず、
母親だから、父親だから、恋人だから、パートナーだからと、
役割や習慣、思い込みで自分を犠牲にしていたり、相手に犠牲を強いる人がいます。
これを美徳と考える人がいますが美徳ではありません。
魂を殺す古い価値観なのです。
「真の無条件の愛は、自分への愛から始まります。」
覚えておきたいですね。
愛に悩むなら、この本を読まれてもいいかもしれませんね。
本当の愛は、お互いを歓びで満たします。
そうでないなら、愛ではないのかもしれません。
アマゾンサイト載せておきますね。
もしここが天国だったら?
花ひらき、今ここにある歓びを溢れるほど受け取ります。