花ひらき、今ここを天国に。
愛溢れる心優しい皆様、
こんにちは。
心地よくお過ごしですか?
ふと、このことを書いておこうと思いました。
セッション、お話会、ワークショップで、
皆さん、よく泣かれます。
そして、「なぜだか涙が溢れてきて・・」ともよくおっしゃられます。
随分と前ですが、
私がコーチングのプロトレーニングの際、
ほんとうによく泣きました。
それはもうぽろぽろと。
悲しくてとか、悔しくてとかではなくて、
ただただ身体の奥から何かを感じて、
涙が勝手に溢れてくるのです。
自分でもなぜ泣くのかわかりませんでした。
ほんとうによく泣いたので、
自分でも困っていたのですが、
その時、コーチの大先輩が言ってくれた言葉が、
「しかたないやんな~。直ちゃんの本質にふれるんやから。」
その言葉に、
「そうか、本質にふれるから涙がでているのか」
そうほっとしたこと今も覚えています。
そして、「本質って何?」という疑問が残りました。
そしてまた、コーチングのトレーニング終了時に、
「本質しか見ない。」と言葉が湧き上がってきたのです。
本質が何かわからないのに「本質しか見ない」と湧いて来て、
「いったい何を見るの?」と、わからないまま帰路についたのです。
その後、
本質が何かわからないままに、
それでも、本質に導かれてきたように思います。
そして、本質にふれると涙が溢れるのだけど、
やっぱりそれが何かわからない。
けれど、
身体の奥から震えるような歓びを感じる。
それは、魂レベルの歓びで、至福で、
全てが許されるような感覚でもあって。。。。
今では、本質とは「愛」であったとわかりました。
私の本質にふれて涙が溢れる時は、
私の中の魂の愛にふれたからだったのだと。
そして、それが、人の中の光でもあるとわかりました。
以前、私の気功の師匠(清水義久氏)に、
「愛とはなんですか?
無条件の愛とはどのようなものなのですか?」とお聞きしたことがあります。
その時の私には、一般的に言われる恋愛や愛が、
ある条件によって心が反応しているだけで、
それは愛といえるのだろうか?と疑問だったのです。
心理学を学びすぎて、愛を頭で考えていました。
今では笑えますが、当時の私は真剣でした。
師匠からは、
「相手の邪気を全て我がものとしてもよいと思えること」
そう言われ、その言葉に号泣したのです。
涙があふれること。
それは、愛にふれたから。
求めていた魂の愛に出会ったから。
そして、それは、私の中にすでにあった愛が、
出会うことで、共振していたのでした。
涙が溢れるのは、あなたの中の「魂の愛が共振」しているのです。
なので、泣いてくださいね。
それが、あなたなのです。
泣くなんておかしいと言われたことがあります。
今思うと、その人は泣くことを抑える生き方をしている人でした。
でも、泣くことを抑える生き方は私には幸せには思えません。
なぜなら、魂の歓びを抑える生き方ですから。
自由におおらかに泣いて笑って、生きることをおおいに楽しむ。
そのほうが、私の幸せなのです。私の魂の歓びなのですね。
ふと、書いておきたくなり書きました。
何か皆さんのお役に立てればいいのですが。
いつもありがとうございます。
ますますあなたが輝きますように。
花ひらき、今ここを天国に。