花ひらき、今ここを天国に。
今回は、私の覚醒体験をお話していきます。
ちょっと信じられない話なので、スピリチュアルな話が好みでない人はスルーしてくださいね。
やっと、こういう話をしてもいい世の中になったと感じます。
以前も、話したことはあるんですが傷つくことがあって言わないことにしていました。
(その頃は、世界の波動はまだ重く理解できる人は少なかったですから仕方ないですね。
また、私も話す人を選んでいませんでしたし、話す人は選びなさいという学びの体験だったわけです)
今は、世界の波動が上がり、軽やかになってきました。
おかげでスピリチュアルなことも理解できる人が増えてきていますし、
なにより、私と同じような体験をしている人がいらっしゃるかもしれません。
そして、かつての私のように何が起こったのかわからなくて不安になっているのではと。
だとしたら、私が話すことで、その人が安心出来たらと思いお話することにしました。
私の覚醒体験は、突然起きました。
それも、いわゆるパワーがある場所ではなく、自宅のリビングで起きたのです。
リビングで仕事をしていたら、
突然、身体が金色の粒になって空間に広がったんです。
こんな光の粒になって四方に広がりました。
身体の形は無くなりました。
でも、意識はありました。
身体は光の粒になって四方に広がっているのだけど、意識は空間にあるのです。
意識は、何が起こったのかわからずかなり慌てました。
それまで自分だと思っていた『身体』は跡形もなく消え、
金色の粒のなり空間に無数に広がっているのですから。
そして意識は、「広がり続けたら身体に戻れない!」
「私が消える!」
そんな恐怖が生まれ、一生懸命に意識を身体という形に集中させたのです。
すると、粒が戻ってきて、身体に成っていったのです。
時間にしたら1分もないと思います。
身体に成ってからも、自分に何が起きたのかわからず茫然としていました。
そして数か月後、再び同じ体験をしました。
その時は、意識を身体を成すことに意識すればいいとわかっていたので恐怖はありませんでした。
でも、2度も金色の粒になったことで呆然とはしましたけど。
それ以降、身体が粒になることは起こっていません。
16年ほど前に起こった覚醒体験です。
当時は、それがどういうことなのかわかりませんでした。
ただ、コーチの先輩に同じ体験をした方があり、
「自分だけじゃないんだ。」と安心した覚えがあります。
そして、いろいろ調べてみても、
この体験を記したものに出会うことはなく今に至ります。
当時は、サイキック能力が急激に開いた時でもあり、
人の思考や感情が雪崩のように入ってきて、電車にも乗れなくなっていました。
(どうしても乗らないといけない時は、ウォークマンを最大音量にして外を遮断していました)
なので、サイキックが開く過程でのひとつの体験だったのだろう、
そんなふうにふんわり考えています。
なぜふんわり考えるのか?と思う人もいるかもしれませんね。
なぜか?
それは、自分を特別視しないためです。
なぜなら、全ての人が究極は粒だからです。
量子物理学では、全ては粒ですから。
そして、覚醒体験があったからといって、人生が激変することはありません。
日々することは同じです。
禅の言葉に、
「悟りの前は、薪を割り、水を汲む。悟りの後は、薪を割り、水を汲む」があります。
この言葉のとおりです。
覚醒体験をしたから、
スピリチュアル的に秀でているということではない、とも思っています。
むしろ、秀でていると思うことはエゴが喜ぶことになり、
サイキック能力をエゴで使い始め、
光の道ではなく、闇の道を歩くことになりますし。
私たちは、金色の粒です。
そして、見えている全てのものも粒で、この地球も月も星も粒なのです。
皆、同じなのです。
皆、同じで、共振し合い、この世界を協同創造しているんですね。
もし、同じような体験をして不安になっている方がいたら、
私の体験を参考にしてください。
決して、おかしな体験ではありませんから。
ほんの一瞬、この世界の仕組みを垣間見させてもらったということなのです。
「悟りの前は、薪を割り、水を汲む。悟りの後は、薪を割り、水を汲む」
この禅の言葉のとおりです。
いつもありがとうございます。
ますますあなたが輝きますように。
花ひらき、今ここを天国に。