花ひらき、今ここを天国に。
愛溢れる心優しい皆様、
こんにちは。
いかがお過ごしですか?
さて今日は、無条件の愛についてお話したいと思います。
というのもセッションで、
「無条件の愛ってどういうものですか?」とご質問をいただいたのです。
今読んでいる本『もしここが天国だったら?』にも、
私がご神域で感じる無条件の愛はまさにこれ!ということが書かれていたので、
皆さんにもご紹介したいとおもいます。
ほんとうに、
「そう!そう!まさに無条件の愛はこの感じ!」と思ったのです。
それはスピリットワールドと繋がった時の感覚そのもので、
皆さんも、この無条件の愛で愛されているんですよとお伝えしたいことなんです。
忘れてるかもしれませんが、
皆さんは、人間だけどスピリットなんです。
なので、いつもスピリットの無条件の愛で愛されているのです。
では、本の中から、
無条件の愛とそうでない愛について抜粋していきます。
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たとえて言えば、ホタルの柔らかく冷たい光と太陽の強烈な熱い光を比較するようなものです。
太陽が輝いている時、私たちはものすごい温かさと光に完全に包まれています。
これが無条件の光です。
太陽が存在しているだけで、そこにいる全ての人がその輝きや温かさを浴びるのです。
それに、太陽の輝きは途絶えることはありません。
地球が自転しているためいつも見えるわけではありませんが、太陽が与えることをやめることは決してありません。
私たちに太陽が見えていない時は、地球の裏側の人たちが太陽を見ています。
一方、ホタルの小さな輝きが持つパワーははるかに少量です。
それはより限定された、条件付きのものです。
ホタルが見える範囲にいなければ、その光は見えません。
たとえそこにいても、容易に光を見逃したり、見失ったりしています。
それはそれで美しいものですが、太陽と比較すればあまりにわずかなものです。
もし、その光を見ていたければ、あなたはホタルに集中し、あちこちに飛ぶのを目で追い続けなければなりません。
向こう側の世界の無条件の愛と比較したとき、地上での愛はこのようなものだと言えるでしょう。
アニータ・ムアジャー二著
『もしここが天国だったら?』
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著者であるアニータは、末期ガンから臨死体験を経て戻って来た人。
(その後、ガンは消えてしまい、医療関係者は驚いたようです)
彼女は、臨死体験した向こう側の世界は無条件の愛で圧倒される世界だったと言っていて、
私はその言葉に納得するのです。
なぜなら、スピリットワールド繋がる時、私は泣くからです。
スピリットワールドの圧倒的な愛が私の中に流れ込んでくるからです。
それは、コントロールなどできない圧倒的な無条件の愛で、
ただただ歓びで泣くしかなくなるのです。
それは、「そのままで愛されていた」と瞬間的に全てがわかり、
全てが許され愛される愛なのです。
そして、瞬間で全てが満たされるのです。
アニータは、自分が末期のガンが治ったのは、
この太陽の光のような圧倒的な無条件の愛に包まれた経験から、
「ありのままの自分で愛されていたとわかったから」と言っています。
ありのままの自分を否定し、
人や世の中に合わせようとして自分を愛さなかったことがガンになった理由だとも言っています。
私も、スピリットワールドの愛に触れると、
どんな自分でも愛されていると実感します。
愛されようと頑張る必要などなく、
ただただ自分でいればいいのだと実感します。
ただ、世の中のあらゆるものが混ざったエネルギーの中にいると、
愛されていると知っている自分なのに、
そのことを疑ったり見失いかけることも やはりあります。
だから、神社や教会に行き、
ご神域の綺麗なエネルギーの中に身を置くのです。
あちらと繋がり無条件に愛されていることを実感するために。
このアニータの本の中に、
無条件の愛を選択した現実的な行動も書かれていて、これも同感でした。
私たちの多くが悩むパートナーとの愛の選択の具体例なのですが、
とても参考になりますからそちらも抜粋しますね。
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無条件に人を愛するというのは、
相手が自分に対していかなる扱いをしてもそれをゆるす、ということではありません。
真の無条件の愛は、自分への愛から始まります。
ですから私は、自己愛の大切さを何度も繰り返し言っているのです。
もしあなたが自分を愛しているなら、
他人があなたを利用したり虐待したりすることを決してゆるしたりはしないでしょう!
愛する人の価値観が自分のそれと対立する場合、
関係にしがみついて自らの魂を殺してしまうのではなく、
恨みや憎しみを持たずに別れることが自分を愛するためには必要なのです。
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いかがでしょう?
「真の無条件の愛は、自分への愛から始まります。」
この言葉に私は共感します。
そして、皆さんにお伝えしたいことはこれなのです。
自分を犠牲にして人を愛することは違います。
自分を犠牲にすることは魂を枯渇させ殺してしまいます。
恋愛のご相談を伺っていると、
自己犠牲し相手を受け入れ愛することが無条件に愛することだと思っている方がいます。
それは違うのです。
犠牲があるなら、それは愛ではありません。
犠牲は、罪悪感や無価値観からの補償行為なのです。
あちらからは圧倒的な無条件の愛で愛されている私たち。
自己犠牲して、魂を殺して愛することは間違いなのです。
愛には歓びがあるのですから。
恋愛に限らず、
母親だから父親だから、
上司だから部下だからという役割や、
いつもこうしているから、
みんながそうするものだというからといった
習慣や思い込みで自分を犠牲にしていることがあります。
古くは、これらは美徳とされていましたが美徳ではありません。
魂を殺す古い価値観です。
自分を犠牲にしてると、
心が疲れ魂が擦り切れていきます。
犠牲には我慢が伴いますから、いずれ怒りや恨みとなり苦しみとなります。
無条件の愛を相手に与えたいと思う人も多いようですが、
自己犠牲の愛を無条件の愛と勘違いしていることも多いのです。
無条件の愛は、自分を無条件に愛する自己愛の実践を積み重ねて出来るもの。
自分を無条件に愛することができて初めて、
他者を無条件に愛することができるものなのです。
太陽の光のような無条件の愛を他者に向けるのは簡単なことではありません。
まずは自分をいつも太陽のようにあたたかく照らし包んであげる自己愛から始めることが大事。
自分を太陽のようにあたたかく照らし包めるようになると、
他者もあたたかく包めるようになりますから。
どうぞ順番を間違えないように。
アマゾンサイト載せておきますね。
もしここが天国だったら?
いつもありがとうございます。
ますますあなたが輝きますように。
花ひらき、今ここを天国に。